令和哲学者NohJesuさんとの出逢いから19年を経て(前半)
韓国人でありながら、27年間一貫して日本の可能性を発信し続ける
令和哲学者 NohJesuさん。
私は19歳の時、初めてNohさんと出逢いました。
そして今その出逢いから19年が経ち
19歳と19年。令和哲学に出会う前と後の人生は大きく変わりました。
そして、またここから新たな道をどう創るのか
ふと立ち止まり綴ってみたいと思います。
まず19歳までの道のりから綴っていこうと思います。
19歳の頃は、人生に迷っていて
人間で生きることに絶望している頃でした。
変わりたい一心で、16歳の夏休みに一人旅を始めて、そこから高校を卒業してまた一年程旅をしながら、人生を問い、生きる道をみつける旅に出ました。
北海道から始まり、最後は沖縄の日本の最南端 波照間島で過ごす日々。
大自然の中に居るのに、劣等感の塊で精神状態は
人と一緒に居れば苦しくなって、自然と対話しないと精神のバランスを取れない
様なそんな状態でした。
人生は苦しみでしかなく、目の前に起きることを全て苦しみで捉えていたあの頃
人間は何の為に生きているんだろう。苦しむ為に生きているの?
そんなはずはない。
一体何が私を動かしているのか、一体何の為に生きているのかを知りたかった。
人間でいることが、意識の牢屋の中にいる様に感じて
早くこの牢屋から自由になりたい。早く外に出たいを、魂のそこから叫んでいたあの頃。
ある時、自分という自我があるから苦しんだと思い
無我になりたいと、波照間島から沖縄本島に出て那覇から名護までをひたすら歩く旅をしました。ただただひたすら歩いてシンプルな行動をしたら、無我になれるのではないか、この苦しみから、自我から自由になれるのではないかと思っていました。
そして、その歩く旅を終えた時思ったのは
牢屋の外には出られないということ。ただ、呼吸をしているとか、生きているんだということしか分からなかった。逆に脳をもっていて、人間の意識の中にいるということを鮮明に感じ、どうやってこの苦しみの外、人間の意識の牢屋の外に出ることができるのかが、分からなかった。
そんな旅を終え、もう一度波照間島に戻って過ごす中で
ムシャーマという旧盆の祭りがあり、小さな島の人たちがひとつになって祭りをする姿を見た時に、宇宙の中の地球の中の生命の中の人間は一部分なんだと感じ
それまで全てを苦しみで捉えていたところから、繋がりから部分を認識できた時に
なんて、今ここ生きているということは神秘で神聖で素晴らしいことなんだと
なんて美しいことなのか、その生命の躍動感と歓喜が溢れてきました。
私はこのことを、人達に伝えたい
いくら人間社会の中でマンネリする日々であったとしても
大前提に、その世界は美しくて神秘神聖で、生命としての躍動感を感じれる心のセンス
そのことを感じれるそんな生き方を人に共有したい!と思い
人間として生きる中でとても重要なことに気づいたと思って、旅を終え東京に戻ってきました。
そこから、Nohさんとの出逢いに繋がっていきます
続きは次回に。