日本人の曖昧さ
日本人にとって曖昧さはいいものだ
ハッキリするのは良くないという大前提
ありませんか!?
最近、外国人と交流する中でつくづくこれって日本人の“当たり前”だな〜と感じる事がありました。
外国人てとってもハッキリしていて
自分の気持ちも意見も全部言葉で表現する
日本人は、自分の気持ちも曖昧にするのが当たり前、それが異文化からみたら結論しか分からないから、もっとなぜその結論にいたったのかの思いも全部話したらいいじゃないかという。
ん〜でも、言語化する習慣がない。
そこで思ったのは、そもそも“ハッキリ言語化する”するということに良いイメージがないんだと気づきます。
日本社会では、意見をハッキリしたらジャッジが生まれて人間関係が面倒くさいとか、相手にどう思われるかとか、あまり良くないイメージがあるんだなあと。
だから曖昧にしておくのが1番いい、ベストだ!という答えを出していたんだな。
曖昧にしておけば、言い争いも起こらないし面倒くさくない。
でも外国人からみたら、もっとディスカッションして意見を出し合ってコミュニケーションしたいという感じ。そもそも意見が出ないと、何を考えてるかわからない。
そうなるな〜
この文化の違いを超えてもっと深くお互いを知って理解し合っていける関係性になるには、表現に対するイメージの変化が必要だなと感じます。
表現ひとつをとっても日本社会の中の当たり前と、異文化の当たり前は全く違う。
特に日本は他の国からみたら独特。
文化のちがいを理解して、もっと自由に表現できる、自由に表現していいんだ!というプラスのイメージを吸収しながら、異文化の関係性を作っていけたらいいなと思う今日この頃です。