人を不信しがちな癖はなぜできた?
人間生きていたら、必ず人と関わって生きている
何かしらの人間関係を築いて生きている中で、改めて私自身も自覚したこと。
それは、とても人を不信する癖がすごいこと。
裏を読んだりして、相手が言ったこともこれも嘘なんじゃないかとか
無限に不信が終わらない世界
でも、なぜそんなに不信する様になったんだろう。。。
近くなる程不信の念は強くなり、相手は誰でも関係ないんだよね。
自分の中で、関係性の結論が決まっていて
私のこと好きなはずがないとか、どうせ嫌いになるんだとか
私のこと嫌いだよね?ってそれを確認しようとする。
その関係性の結論がもう決まっている。
オートになぜこんなにも不信を抱くようになったんだろう
幼い頃から人間関係で良かったことがないとすら思う。
幼稚園は遊んでただけだけど。
小学校、中学校、高校・・・学校生活に人間関係にいいイメージはない。
人を疑う心、人を不信する心
それはとても根深くて、なぜこんなにも目の前の人を信じることができないのかと
そもそも人もすべて 条件によって変わる相対の世界だから、信じることなんてそもそも不可能かもしれない
今の時代、親が子供を虐待し殺してもしまう。親がそんな状態だったら、どれだけ子供は地獄を感じていたんだろう。。。一瞬の感情で人は人を殺す。
人間が一番信じることが不可能な存在かもしれない。
そんな中で、人と人は出会い、パートナーシップをしながら家庭を築く、仕事はお金の為だったりするけど。
不信を抱くのも当たり前なはなしかもしれない。
自己イメージとして、人と仲良くなれない関係性を築けない自分というイメージが根深くあるのだなと客観的に感じている。そこら辺はとても自身がなくなるところだったりする。
自己イメージを自覚するところから変化のスタート。