観点の異質性の実例
去年私自身が味わった実例
観点の異質性についての記録
私は去年強烈な観点の異質性と出会いました。
それは、ある外国人の友人を通してでした。
分かりやすく、文化の違いという生まれた国も文化も宗教も全てが異質な環境で生まれ育った2人。
その2人は、あらゆるものの捉え方が正反対の様に違いました。
表現すること、アウトプットについても
人との関係性の作り方も
全部が正反対。
例えば
日本人の私は
本音を話せない、思っていることを言えない
違いが怖いから言えない、曖昧、合わせる、表現に対してネガティブ。表現をすればする程「違い」が生まれ、分かり合えない、争いが生まれるイメージ。
違いが恐怖に感じる程なので、沈黙が一番良いと思っている。
一方、外国人の友人は
お互いの違いを表現することが、互いを理解する材料になるので、なんでもとにかく言葉で表現する。
アウトプットに対して、ものすごくポジティブな印象を受けました。
日本人の自分にとって、ものすごくネガティブだと思っていたとしても、相手にとっては全くもってネガティブではなく。あぁ、自分の思い込みだったのだと気づく。
そして、関係性の作り方も正反対だったのだと最近よくよく気づきました笑
友人の考え方は、この地球上の人間は分かり合えない、だからお互いが歩み寄って、妥協点を探す様に、互いの真ん中のポジションで会おう。そういう考えが好きだそう。
だから、確かに違いはマイナスではなく、むしろまず違いを表さないと互いを理解することが始まらないし、違うのが当たり前だから歩み寄ろうとする。理解しようとする。
一方、私はというと
違いに対してのネガティブさが強烈で
すぐに関係性を切りたくなる。
違いをとって、速攻マイナスにとらえ、関係を切ろうとする。距離を置いたり、沈黙したり、自然消滅の様に引いていく。
まっっったく真逆です笑
よく友人に言われていました。
「ギブアップしたらダメだよ」と。
こんなにも違うふたり
どれだけ意識レベルでわかり合おうとしても
本質的に人間ひとりひとりは
観点、判断基準の異質性を持っていて
その異質性から自由になることは出来ません。
互いを理解し合うことも、出来ません。
初めは良くても、我慢するしかなくなる…。
これは、ものすごく分かりやすい異文化の関係性でしたが、日本人同士でも同じことです。
自分とまったく同じ人間はこの地球上に1人も居ません。本当に分かり合う事なんて不可能です。
同じ環境で育った双子でさえ、違う判断基準を持っています。その判断基準がオリジナリティとも言えますが、その自分自身の判断基準から自由になることが出来ない、手放すことが出来ないので、無意識深くから自分が正しいと思っています。
だから、人間は孤独です。
本質的にみたら自分の判断基準の中に閉ざされて、本当に相手と出会うことができないからです。
異質性を土台にした、関係構築は
我慢となってしまい
必ずジャッジが生まれます
それが行き着くと、離婚やもっといくと憎しみとなり暴力や殺人と繋がってしまいます…。
そんな観点・判断基準の問題を解決するには
まず人間が観点の中に固定され、閉ざされている状態であることを知ること。
そして、その観点の問題を解決するnTech(認識技術)を使うこと。
nTechを通して、観点の問題を一掃した、観点のAll Zero化が可能になり、共通土台を得ることができるので、人と人とがチームプレイすることができる様になります。
私自身は、韓国でこのnTechの研修が開催された時に、韓国の人たちが参加され、正に文化の違いと歴史認識の違いが反日教育という形で浸透している環境の中で育った人たちが、nTechを通して国家民族をも超えて、共通土台を持つことができるのだと目の当たりにして、とても感動しました。
国家民族を超えて、共有できる共通言語
イメージ言語を通して、存在が存在する仕組み、構造を理解することで、様々な認識の境界線を解いていくことができる、nTechという教育はすごいパワーがあると思います。
nTech開発者
ノ ジェスさんのオフィシャルサイトをご紹介します。